シンガー・ソングライターの嘉門タツオさん(64)が2月10日、ホームページで約1年2カ月ぶりに活動を再開することを発表しました。
このニュースで、活動を自粛していたと知った方もいると思います。自分も今回の発表で、活動を自粛していたことを初めて知りました。
そこで今回は、なぜ活動を自粛することになったのか?そしてどのような形で活動を再開するのかを調べてみました。
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嘉門タツオさんの簡単な経歴
嘉門達夫「お前やー!!w」 pic.twitter.com/9U5pR73ND3
— マダオまーぶさん777@底辺レトロゲーム実況生主 (@twit_MARB) 2024年2月4日
嘉門タツオさんは、1959年3月25日に大阪府茨木市で生まれたシンガーソングライターです。
高校生のときに落語家の笑福亭鶴光に弟子入りしましたが、1980年に破門されて芸能界を離れました。
その後、ギターを持って日本各地を旅しながら歌を作り、1983年に「ヤンキーの兄ちゃんのうた」でデビューしました。
以来、コミックソングやメッセージソングを多数発表し、1992年には「替え唄メドレー」で紅白歌合戦に初出場しました。
2017年には芸名を「嘉門達夫」から「嘉門タツオ」に改名しました。現在もCDリリースやライブ、TV・ラジオ、執筆など幅広く活動しています。
なぜ芸能活動を自粛していた?
今回、芸能活動自粛から活動再開へという事になったのですが、そもそも何で自粛されていたのでしょうか?
【去年1月に飲酒運転による追突事故を起こす】
嘉門タツオ、飲酒運転による人身事故を謝罪「二度とお酒は飲みません」 運転免許証の再取得はしないと宣言https://t.co/BcR8BcWpL1
— ORICON NEWS(オリコンニュース) (@oricon) 2023年4月18日
#嘉門タツオ
事の発端は2023年4月18日、自身の公式サイトで1月下旬に飲酒運転による追突事故を起こしたことを発表し「今後自分の行動を悔い改め、皆さまに楽しんでいただける曲を届けられるよう、反省し精進します。本当に申し訳ございませんでした」と謝罪をしたことでした。
さらにそこには、被害者の方が23年4月18日現在もまだ治療継続されている事や、今後免許の再取得はしない事、二度とお酒は飲まない事、ファンやスタッフ、関係者に対する謝罪も綴られていました。
そしてその日から反省の意味を込めて音楽活動、タレント活動を自粛していました。
自身の65歳の誕生日にライブで活動再開
二度と
— どあら(doala) (@doala_mond) 2024年2月10日
♪チャラリー鼻からアルコール
をしないように
飲酒運転で追突事故の嘉門タツオ、芸能活動を再開「被害者の方からも有難いお言葉も頂きました」(ENCOUNT)#Yahooニュースhttps://t.co/OQLCBcHmYQ
活動を自粛していた嘉門さんですが、2024年2月10日、自身の公式サイトで活動再開を発表しました。
そこには「ファンの皆様、関係者の皆様へ」として改めて事故に対する謝罪と、被害者の方から「ぜひ活動を再開なさって下さい」という言葉を貰ったことなどが綴られていました。
そして活動再開に際し、今後二度とこの様な過ちを犯さない事を誓い、来る3月25日、65歳の誕生日、宇崎竜童さんをゲストに『反省と叱咤の会』を開催することも発表されました。
宇崎さんとは日ごろから色々なアドバイスをもらう仲だそうで、事故を起こした時も厳しいお叱りも受けたそうです。そういう意味では活動再開のゲストとしてはピッタリの人選かもしれないですね。
まとめ
今回は、嘉門タツオさんが芸能活動を自粛していた理由を書いてみました。
今回の事故は、被害者の方はもちろん、嘉門さんの周りにも大きな苦痛を与えたことは間違いありません。飲酒運転は絶対に許されない行為であり、二度と繰り返されないことを強く願います。
今回、被害者の方の寛大な心と、関係者の方々の尽力によって、嘉門さんは活動を再開できることとなりました。
嘉門さん自身も、今回の過ちを二度と繰り返さないことを誓っています。ブログで「二度と酒は飲みません。今後自分の行動を悔い改め、皆さまに楽しんでいただける曲を届けられるよう、反省し精進します。」とコメントしています。
嘉門さんの再出発を温かく見守るとともに、今回の事故を教訓として、飲酒運転の根絶に向けた取り組みがますます進んでいくことを願います。
最後までご覧いただき有難うございました。